26th TFTS (T-38A/F-5E)
1970年代後期、西太平洋で唯一の米空軍アグレッサ−飛行隊であった26th TFTS。F-5Eを使用していた飛行隊は、アメリカ本国以外ではイギリスのアルコンビュリABのアグレッサ−飛行隊しかなく、日本の航空マニアにとって日本国内で米空軍のF-5Eを拝めるチャンスをこの部隊が与えてくれた存在であった。

 1978年の3月に約半月の間、嘉手納に行った時である。フィリピンのクラーク基地に米空軍のF-5Eが配備されたことは知っていたものの、まさか嘉手納で撮影できるとは想像もしていなかった。
VMA-214の項でも書いたとおり 当時私は嘉手納市内の”日の出ホテル”という安宿に宿泊していた。写真撮影行で嘉手納を訪れる人はよく利用していたホテルだが、地元の人にはラブホテルとして使われていたそうである。丁度 私の隣の部屋は今や有名な航空写真家のT・K氏と某航空雑誌の編集長M・I氏が雑魚寝されていた。ある朝 曇り空に突然「ドドドー!!」と爆音に叩き起こされ、私もT・K氏 M・I氏共にすぐにベランダに出てみた。なんとF-5Eが 5機編隊を組んで嘉手納の上空をローパスしているではないか! さすがベテランのT・K氏は、落ち着いた顔で「ビックアロー編隊の体系だね・・・嘉手納初飛来じゃないの」と言っていたが、F-5Eを初めて目にした私は落ち着いてなどいられない。何せ日本ではそれまでF-5Eを見る機会などなかったのである。今日または明日からでも訓練やってくれるのかどうかが気になって、すぐ様子を見に滑走路R/W05エンドに走った。しかし・・・何とその日は数時間の滞在でフィリッピンに帰ってしまったのだ・・・ 

  すっかり意気消沈していたが、翌日今度は4機で再び飛来してくれた。迷彩は各機異なっており、K・T氏から 「スネーク/リザード/シルバー/パッチ−ズ」と言う迷彩パターンであることを教えていただいた。幸いこの4機は数日間18th TFWのF-4と訓練を行ってくれた為、わたしは撮影を満喫できた。26th TFTSのF-5Eの第一印象は着陸の際”すごい旋回・・ひねりをして降りる戦闘機”・・・ 機体ではなくパイロットの腕が良いのである。(2002/7 記)
↑ 1978年12月にフィリピンのクラーク空軍基地で撮影された26th TFTSのF-5E/74-01574。このカラースキームが最初のパッチーズのオリジナルカラーである。

↑ 数週間の訓練を終えて フィリピンのクラーク空軍基地に帰還する26th TFTSのF-5E。全機 胴体下には燃料タンクを付けている。

↑最後はグレー系迷彩の”ゴースト”、Modex16と17がゴースト迷彩であった。この日飛来したのはこの4機であったが、Modex14と15は、全面無塗装の”シルバー”と呼ばれたパターンのものも存在した。アグレッサ−のF-5Eは、塗装のバラエティーでも楽しめた。18th TFWとのDACT訓練の為、最初の4機が嘉手納を訪れた時の模様で、旋回の為右に大きくバンクしながらタッチダウンするため、嘉手納R/W05の午後、撮影ポイントではこのような写真になってしまった。この後、この降り方に航空ファンたちは振り回されることになる
(75-0616)
↑ 3色迷彩の”スネーク”、同隊にはModex12と13がスネーク迷彩であった。
↑ サンドとダークブラウンの2色迷彩の”リザード”スキーム。Modex61と62が同隊には存在した。
(74-01561)
↑ 写真上、ブルー系迷彩の”パッチ−ズ”アメリカ本国では”グレープ”とも呼ばれていた。26th TFTSには同一迷彩で、機首番(Modex)74も存在した。
(74-01575)
(75-0613)
1970年代後半までF-4ファントムのエンジンから出る黒い排気は、30マイル先からでも見えると言われ、ベトナム戦でもよい標的とされてしまった。それに比べアグレッサーに選ばれたF-5Eは、Mig-21と同じ小柄のサイズで黒い排気煙がほとんど出ないため、実戦訓練にはもってこいの機体だった。
初飛来の翌日再び嘉手納を訪れたF-5E。翼と翼の間は3メートル程度、見事な編隊である。
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Wings
↑ この写真 嘉手納基地ランウェイ05の際、国道58号線脇で、200mmレンズをほぼ真上に向けて撮ったものである。つまり機体は地面に対しほぼ90度傾いており、機体の上部にあたっている光は早朝の東からの朝日である。なんと言うタイトなブレークをするパイロットなんだろう!当時、この着陸を撮ってパイロットの力量に感心してしまった。